在宅介護16年の闘い。

要介護4の父をリアル在宅介護してきた約16年を振り返る日常

原因不明!【難病ギランバレー症候群を発症しました!】

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皆さん、こんにちは。^^

「今から約11年前に、難病のギランバレー症候群を発症しました。」

 【ギランバレー症候群ってどんな病気?】 

  • ギランバレー症候群は、風邪や下痢などの感染症の後に自分の免疫が自分の末梢神経を攻撃してまう病気です。筋力低下などが急速に進行していきます。
◎病気自体のはっきりとした原因は不明ですが、自分の場合は鶏肉経由でのカンピロバクターという病原菌が起因だと診断されました。
10万に1~2人の割合で罹る人がいる難病と言われています。
 
カンピロバクターによる食中毒については、こちらの記事で詳しく紹介しています。 

インフルエンザの予防接種でも、ギランバレー症候群を発症する可能性が認められています。 こちらの記事で詳しく紹介しています。

 【実際の症状はどんなだった?】

  • 身体の左半身(顔~足のつま先まで)の極端な筋力低下。
  • 右半身の筋力も、通常の半分以下程度まで低下。
  • 味覚異常。

【原因は不明だけど、思い当たる事は?】

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当時、本業のクリーニング店以外に夜間のマクドナルドのバイトをしてました。
始めて2年が経った頃ぐらいに、さほど重くもない荷物を落とす事が何度かあって
ちょっと働き過ぎで疲れてるのかな・・。」ぐらいに思ってました。
それから日に日にどんどん力抜けていくような感じが続き、ついには味覚異常で甘いアイスが辛いと感じたり、炊きたてのお米が硬くて食べれくなってしまいました。
自分でもこれはまずいと思って、友達が勧めてくれた隣の市の大きな病院へ行きました。当時はまだ、かかりつけ医の紹介状なくてもすぐに診てもらえたので。
そこで見てもらった若い内科の先生が、
「ひょっとしたら、大変な事になってるかもしれん。」
と言って、「すぐに紹介状書くから、知り合いの神経内科の先生がいる国立病院へ行きなさい!」と言われました。
まだなんとか原付には乗れるぐらい力はあったので、そこの病院から国立病院まで20分ほど原付で向かい、紹介状を渡して神経内科の先生に診てもらったところ。
強い口調で、
君が思ってるよりも、事態は深刻や!
と言われて、即入院で精密検査を始める事になりました。
え?入院?って言われても、仕事もあるし父の介護もあるし、まず着替えとかの荷物も・・とか言ってると、
「そんな場合じゃなくて、誰かに頼みなさい!」
また強い口調で言われました。
まず家に居る母に電話し、すぐに入院せなあかんらしいから店はしばらく閉めようと伝え、親友に電話をしてとりあえずの着替えや荷物を病院まで運んでもらいました。
自分ではまだそこそこ動けるし・・と思ってたら入院して3日目ぐらいにはもう左半身がほとんど動かないぐらいになってました。
当時は病気の進行が早く感じて相当焦ってました、このままどんどん筋力がなくなって動けなくなったらどうしよう。
毎日お見舞いに来てくれる友人達が、病気の事をいろいろ調べてくれて、

「この病気、治るやつやから。」
と来る度に言って励ましてくれてたのをよく覚えてます。

 

 

【どんな治療法をしたの?】

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治療法免疫グロブリン大量静注と言う点滴療法でした。

当時保健の効かない1本¥15000?ぐらいのドロドロの点滴を別の点滴で薄めながら何時間もかけて1日10本を5日連続でする治療法でした。

生命保険に入ってなかったので、入院費の事も心配でしたが選択の余地はなかったです。

「点滴代だけで、なんぼかかるん!?」

ほんとに大量でした・・何日もずっと点滴してる感じで。
しかもこの療法が効いたとしても、症状が止まるだけであってそこから神経が少しずつ回復して、筋力が戻るまでには結構な時間がかかると言われてました。
担当の先生もギランバレー症候群の患者は自分で2人目だということで、ものすごく慎重にとういうか丁寧な診察してくれてました。
検査のが進むにつれて、症状が重症化する傾向が予想されると聞かされてました。

けれど、重症化には至らずに点滴投与後は症状も止まり回復に向かいました。

重症化しなかった原因や理由を詳しく研究したいとの事で、血液・尿・便等々いろいろな物を阪大病院に送る承諾書も書きました。

実際のところ、先生に病気は完全に治りますか?と何度聞いても、厳密に治るとは答えれないと言われてました。

みるみる回復する人もいれば、ものすごく時間がかかる人もいるし、筋力が戻らない場合もゼロではない。再発の可能性も無いわけではない。ようするにまだまだ解明されてない病気なんだと。

退院後にネットで病気の事を詳しく調べてみると、やはり重症化して視力を失った方や下半身麻痺が残ってしまって方も居られました・・。

「自分がなってしまったギランバレー症候群は、本当に怖い病気だったんだと後から知る事になりました。」

芸能人やスポーツ選手でも、この病気になった人たまに耳にしますよね。

10万に1人の確立なんて事も聞きますが、個人的にはもっと多い気もします。
11年前の事ですし、現在は医療も当然進歩してます。近年はこの病気の新しい治療法ができたというニュースもネットで見かけました。

 

 

入院中食べるものは何でもOKだったんですが、筋力がほぼないため腕が上がらずお菓子の箱もアイスの蓋も開けれないから食べれないという状況です。

アイスのピノの箱が硬すぎて開けれない。。」それ見て友人達は笑ってましたが、とりあえず病気の進行が止まったらしいという事は直に嬉しかったです。
2か月ちょっとでなんとか退院できましたが、日常生活を送るにはまだまだ力が入りませんでした。

退院した頃の握力は麻痺の左は10も無かったと思います、お茶碗も持てなかったので。右も15程度でした。入院中は左は0で計測不能、右で5ぐらいでした。何もかもが重たく感じて動かせず、思い通りになりませんでした。

自分の手のひらの重さを、自分の手首で支えれないような状況だったので。
とは言っても自営なので働かないと収入はゼロのまま時間だけが過ぎて行きます、とにかく身体を動かして歩いてをくり返してました。

ようやく自転車に乗れるようになって、自転車に乗りまくって全身動かして、しばらくして車に乗れるようになりました。

最初のうちは車のドアも扉も重くてなかなか開けれませんでしたが、徐々に慣れるのと筋力が少しずつ戻ってきました。

とにかく安全運転に気をつけて、ゆっくりゆっくり運転していました。

病院での理学療法等のリハビリは費用が高いので途中で断念して、似たような作業療法を家でやりました。

自分で簡単な筋トレグッズ作ったりして、思いつくものなんでもやってました。この病気には何か特に薬などはなくて、メチコバールというビタミンB12を気休め程度に飲んで下さいとの事でした。薬局でも「気休めの薬です。」って言われてましたしね。
何とか半年後には力はまだまだ弱いものの、日常生活送れるようにまで回復しました。
後遺症なのか、ずっと力の入ってなかった左手は、今でも緊張したり集中したりすると極端に震えてしまいます。特に生活に不便はありませんが。
入院中は父の介護は母にまかせたままで、店は4~5か月ほど休みました。

貯金を切り崩しての生活でしたが、以前からのお客さんはずっと待っていてくれて方も多く1年後には通常営業までに復活することができました。
副業でやってたマックのバイトも当然辞めるつもりでした。けれど店長が籍だけは置いておくので元気になったら戻ってきて欲しいと言ってくれてました。

無理がない程度の事務所でのPC打ち込み作業だけで時給を付けてくれてました。わずかな収入でしたけど本当にありがたかったです。実質的には、ほとんど働いてないのに給料もらえたので。元気になってようやく店舗でも仕事ができるようになって、しばらくした頃に店は閉店しまいましたけど。
「どんだけ働くねん!!」
将来の蓄えにと思って始めた副業だったのに、結局は限界超えて働いて身体を壊してしまい元も子もなくなりました。生命保険も入ってなかったので、高額医療費支給制度でなんとか乗り切れました。
「この病気になって人生観が、大きく変わりました。」
ほんとに多くの人に助けられました。
今はすっかり元気になりました!手の震えが少し残りますが、前向きにあまり気にしていません。足や手の左右太さが違ったりしますが、それも気になりません。笑
本業、副業、父の介護、疲労、ストレスで何もかも限界やったんですね。

「人生、何事もほどほどにしておかなアカンわ。と言う事を心底思い知りました。皆さんも、自分の健康・体力を過信せずに無理は禁物だと知って頂きたいです。」 

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