皆さん、こんにちは。^^
「親孝行したいときには親はなし。」
なんとなく、一度ぐらいは聞いた事ありますよね?
【意味】
親が元気なうちは、親の苦労や有り難味になかなか気付きにくく、それに気付く頃には親はもうこの世から居なくなってしまってる。
「親が生きて元気なうちに孝行をしておけば良かった」と悔やむ事です。
【父の在宅介護生活】
このブログのタイトルにあるように、自分は母親と約16年間在宅で要介護度4の父を介護してきました。
「凄いやろ?親孝行やろ?」なんて事は思った事は一度もありません。
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正直な気持ち、出来る事なら自分だって親の介護はしたくなかった。
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誰か他にやってくれるなら、その方が良いと思ってた。
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でも姉も、父の姉弟も、親戚も誰も何もしてくれなかった。
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だから母と2人で父の介護を続けるしかなかった、ただそれだけです。
【長過ぎた父の在宅介護生活】
16年間って、赤ちゃんが高校生になるぐらいの年月ですよね?
もっともっと長く在宅介護されてて大変な方も居られると思いますが、気付けば自分達には長過ぎる年月でした。
介護の始まった最初の数年間は毎日が壮絶な地獄の日々でした。
それがだんだんと、いろんな事が慣れてしまいただの地獄になっていったのは、
- 介護する事への慣れ・・
- 父に対する感情の麻痺・・
- 自分の人生の諦め・・
父に早く亡くなって欲しい、父の事を・・してしまいたい。
そんな事考えたのは、この16年間で何十回・何百回思った事か解りません。
とにかく介護から解放されたい、心も身体も自由になりたかった。
ただただ、静かに毎日を普通に暮らしたかった。
親を捨てて家を出る事もできたと思います、でもそれは出来ませんでした。
「要するに、全てを捨てて逃げだす根性がなかったんです。」
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当時から父の介護の事は周りの友人達にも、なんとなくぐらいしか伝えてませんでした。話たところで解ってもらえないだろうし、その介護の説明をするのがしんどかったので。
昨年、ようやく施設に入り長く辛かった介護もひと段落しました。
たしかに日々の生活は劇的に楽になりました
- 精神的
- 肉体的
- 経済的
でも、まだ介護は続いてるんですね、
「施設に入所したらハイそれで終わり。」じゃないので。
【親戚の叔父さん】
年に数回、父の顔を見にくる親戚の叔父さんがいました。
父が入所してすぐに来たので入所した事を説明したら、あからさまに怪訝な顔をして、
「え、施設に入れたん!?」
と言われて、何も言えませんでした。
まるで父を無理やり施設にほりこんだみたいな言い方で。
年に数回、コーヒー飲みながら30分ほど父の顔を見るだけと、
1年365日父の世話を一から十まで生活の面倒見る事の違いは解りません。
施設の場所と部屋番号を教えて欲しいと言われて渡してますが、この半年は1度も記帳に名前がありません。親戚とは言え、所詮そんなもんです。
【実際に経験しないと解らない】
- 災害
- 病気・怪我
- 介護
これらは、全て実際に経験してみたいと痛みや辛さなどの大変さは解りません。
自分は人の親になった事ないので、人の親になる大変さや苦労は解りません。
でも子供として親に出来る事はやっておこうと、ようやく思える年齢になりました。
すごく長い時間がかかりましたが、
「ようやく、これからが本当の親孝行の始まりだと思っています。」
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