在宅介護16年の闘い。

要介護4の父をリアル在宅介護してきた約16年を振り返る日常

【前編】人生最大のピンチを助けてくれた2人の恩人。

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皆さん、こんにちは。^^

「今までの人生で最大のピンチ、それはやっぱりギランバレー症候群で入院した時です。」 

病気の事は以前の記事に書きましたので、そちらをご覧ください。 

自分が病気で入院してる間、2人の友人のK君とY君が身の回りの世話をしてくれたりして面倒をみてくれました。

親の面倒をみながら自営業で仕事をしていて、父は要介護度4での在宅介護の状態です。高齢の母親は、家事と父の介護で精一杯なので到底自分の病院の面倒をみる余裕などありませんでした。

Y君とは高校からの親友、K君とはY君の紹介で20代前半からの付き合いで、遊ぶ時はいつも3人一緒でした。

後にも先にも親友と呼べるのは、この2人だけですね。

【K君編】

本業+副業で、過労とストレスが重なったせいでギランバレー症候群になってしまい、診察が終わると同時に即入院の手続きでした、家に着替えや用意も取りに帰る事もダメだと医者に言われました。

すぐにK君に電話して事情を説明しました、病院に検査に行く事は事前に伝えてありました。

aki 「今日から入院する事になってしもてん、悪いけど着替えだけ取りに行ってくれへん?」

K君「解った、仕事終わったら持っていく。」

夕方にK君が、何の用意も無いままに入院してる部屋に来てくれました。

  • 数日分の着替え・下着類
  • タオル・ティッシュ等
  • 歯磨きセット・お風呂セット
  • 簡単な食事とミネラルウォーター

とりあえずの着替えだけをお願いしていたのに、こちらが欲しいと思う物は全部揃えて持って来てくれてました。

aki「何で要るもの解ったん?」

K君「あたりまやん、俺何年入院生活してたと思ってんねん!」

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そうでした・・。

まだK君と知り合うずっと前、中学ぐらいの頃に彼は小児白血病余命宣告までされてたと聞いてました。

知り合った時はすっかり元気で、かなりやんちゃな事ばっかりしてたので病気の面影など全く無かったです。

長い間の治療と入院生活で打つ手も無くなり自宅療養で経過を見ながら残りの時間を過ごすという事になったそうです。

それからしばらくして、検査を受けたところわずかに白血球の数値が良くなったらしく、それから時間が経つに連れて徐々に回復していったみたいです。

※病気の事はあまり詳しくなくてすみません。結論を言うと完治したんです。医者も解らない、化学的に説明もできない、誰もわからない、でも現実は好転していってると。これ作り話でなくホントなんですね。

その後、K君は20代前半でボクシングを始めプロボクサーにまでなりました、ボクサーとしての成績は決して良いものではありませんでしたが、自分のボクシングジムも経営するまでになりました。

同じ頃にK君の兄とY君がやっているお好み焼きチェーン店を手伝いったりしていました。

今から10年程前に独立し、ゼロから”台湾まぜそば”を始めて今では大阪に何店舗もある会社の社長になりました。

大阪にお住まいの方なら、ご存じの方も居られるかもしれません「麺やマルショウ」と言うお店です。

現在は店舗数も増えて、地元豊中、新大阪駅、梅田都心部、等々にお店がある社長になりました。

ゼロから独学でここまで。です。

彼の人望・人脈・人を惹きつける何かが、成功へと繋がったんでしょうね。

「数字も大事やけど、商売は目の前の損得勘定だけじゃない、長い目で見てトータルで少しプラスでOK。」そんな事もよく言ってました。

K君の人生だけで本書けそうな勢いです。笑

K君は入院中にいつも言ってました、

「お前のギランバレーは治るんやろ?俺の病気は治らへんやってやってんから。」

「でも治って、現に今ここに居るやろ。」

「先のわからん不安な事ばっかり言ってんと、今日一日リハビリちゃんとしろや。」

入院中は、いつも怒られてました。

「すっかり成功してしまったK君に、今の状況の自分が何かしてあげれる事は無いかもしれないけど、K君が困った時に恩返しできるようにといつも思ってます。」

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